ブラック珈琲

一人の暮らしの休日は掃除も洗濯もあっという間に終わる。

ベランダに立つとどこまでも青い空が見渡せる。
美弥子はきれいに晴れた空に誘われるように車を走らせた。

2年前 これからどうなるのだろう、と不安だけが頭にあった。
あの頃は、静かすぎる時間を持て余すなんて考えられなかった。
「慣れるものだわね…」 ハンドルを握りながら呟きがこぼれた。


何処へ行くという当てはない。
転勤で引越しして来て、まだ2ヶ月しか経ってなく平日は会社とマンションの往復で暮れる。

覚えたのは会社近くのカフェ、居酒屋と役所くらいなものだった。




出かけたついでに買い物を済ませようと思いついた。
転勤で来たこの町は、郊外型の大型スーパーが広い敷地内に、食料品だけに限らず、専門店という多種多様な店が揃っている。
ここに来れば大概のものは買えるのだった。


食料品を買う前に探したいものがあった。
本屋がある。
どんな時にも本を読むと落ち着く。

最近ハマッていることに関する本が欲しくて探してみた。
自分が欲しかった本が見つかったときの嬉しさは、幼い子供が欲しかったおもちゃを買って貰ったときに似ている、と思う。

右から左へ・・・見つけると早速精算して、本が入った袋を胸に抱いて、コーヒーショップに急ぐ。
マンションまで待てない。触りの部分だけでも読んでみたい。


「ブラック。」 そう言って一つと人差し指を出す。



トレイにコーヒーのカップを載せて、空いている席を探す。

心待ちにした本を読むのに、人が行き交うざわめきに邪魔されたくなくて通路より奥を見つけた。


まず一口飲んで 落ち着く。

それから袋を開けて、子供のようにワクワクして本を開き読み始めた。



何度目かコーヒーを口にしようとした時に、声を掛けられた。

「やこ。」

声のした方へ視線をあげた。

「…え   …あ…」

「久しぶり。元気そうだな。」

すっきりと通った鼻筋と、幾分年齢を重ねた目元。

自分の記憶が間違っていなかったら…

そして何より『美弥子』という名を、三文字呼ぶのは面倒だと言って『やこ』と呼んだのは彼だけ。

「亮介さん…」

「思い出した?」

片手にコーヒーのカップを持ちながら、「ここ いい?」という目配せをする。

頷きながら、美弥子は少し身構えた。
ここに彼がいるのが信じられない。


美弥子に、亮介は
「一人なの?」 と訊く。

「ええ 買い物に来たついでに本屋さんを覗いたら欲しい本があったので、衝動買いして…」
首をすくめながら言うと
「相変わらず本が好きなんだな。」
「…本ていうか、活字を見ていると落ち着くっていうのか…うん 好きなのかな。」

「亮介さん 一人?」 
久しぶりに緊張感を感じる。
「いや、子供のタクシー代わりだよ。友達と遊びに来ているんだ。
まあ こんなに広いと どこに居るんだかわからんけど。」

笑う目が優しさを思わせる。

子供…そう 子供がいるのね…

「コーヒーもっと飲む?」

空になった美弥子のカップを見て、自分のカップの中身も飲み干す。

「時間 大丈夫なの?」
「ああ たっぷりあるよ。ブラック?」
立上り、カウンターに行くとすぐに両手にカップを持ち戻って来る。



そう  私はこの人からブラックコーヒーの味を教えられた、と思い出した。



「苦くないですか?」

訊いた美弥子に亮介は
「ああ  苦いのはそれほど気にならないよ…ミルクや砂糖を入れるよりすっきりして好きなんだ。」

『すっきり』と言った言葉に美弥子は新鮮さを感じた。

美弥子は砂糖を入れずに、ミルクを少し入れて飲むのが好きだった。が その日何となくミルクを入れずに飲んでみた。

「飲めるじゃん。」
それから美弥子はどこでも、いつでもコーヒーはブラックにした。


何がきっかけだったのか、今となっては覚えていないが美弥子と亮介は二人だけの時間を持つようになっていた。


亮介だけが視界を占めて、その行動と言動の一つ一つに敏感に反応していた  あの頃。

亮介がいれば嬉しくて幸せだった。



その嬉しさがやがて嫉妬や不安に変わり、いつしか言ってしまった
「私は亮介さんの何なの?  私は…
いつも いつもこんな辛いのは…イヤ!!!」



子供だった・・・と思う。
亮介の周りに集まり、自分とは違う時間を共有する人々に嫉妬していた。


「やこは結婚したの?」

微かに頷いて 「ええ…」

「…幸せか…?」

この人に隠すことはどうなのか  と思いながら
「うん。幸せよ。」 笑ってみせた。




~・~・~

久々に書きました。
ちょっと大人の二人が登場です。
問題は…どれだけ書けるかな?  です













"ブラック珈琲" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント