~~~ 左近 男でござれば 参 ~~~
本郷道場の座敷に客が来ていた。
壮年の武士とその娘であった。
その二人と師匠の仲村を前に細川左近はいつになく落ち着かない素振りだった。
客は石坂高継と娘の初音であった。
先日同じ住込み門弟らと神田明神近くの料理茶屋に行ったとき、酔った若侍に絡まれていた初音を助けたのが左近だった。
父娘はその礼に訪ねてきたのだった。
「あのままであったら、どれほどの怖い思いをしたかと肝を冷やす思いでございました。」
と父が言うのに
「本当にどれほどお礼を申し上げても足りないくらいでございます。」
と初音が頭を下げた。
「いえ・・・あれしきのこと何でもござらぬ。 そう言われると却って恥ずかしい気がいたします。」
左近が畏まると、高継が
「不躾でござるが、細川どのは尾上藩江戸家老 細川直久殿のご子息でござろうか。」
「はい。父は細川直久にございます。それがし次男でござれば、気軽な身をよいことに先生に無理を言い住み込ませて頂いております。
石坂様は父をご存知でいらっしゃいますか。」
「おお 先ほどから、面差しがよう似ていると思っていたところでしたが、親子と聞けばなるほどと得心しましたぞ。」
と言ってから
「実は・・・・・ あ いや。 父上との話は放念くだされ。」
片や幕閣の重職、父は譜代といえ大藩ではない藩の江戸家老。
どのような繋がりがあるかは知らないが、表に出てこない様々なことがあるのは左近も承知している。
多分人前では話せぬこともあるのだろう・・・そんな程度に思っていた。
父娘はしばらく話をした後、帰って行った。
「兄上 おめでとうござる。」 と頭を下げると
「うむっ・・・」と口を一文字に結んだかと思ったら
「左近に言われるとなんだか照れるな。」 と忠輔が笑った。
「どちらの娘にござるか。見目麗しいでござるか。」
忠輔と左近は二歳違いの兄弟だ。顔立ちは忠輔が母親似と言われ、左近は父親似と言われていたが、男同士のせいか大きくなるにつれ、どことなく似てきたような感じだ。
異性にあこがれを抱くのも変わらない。
「可愛いぞ。一目惚れってやつだ。」 臆面もなく言う忠輔に
「一目惚れ……真面目一方の兄上からそのような言葉を聞くとは思いませんでした。」 左近が呆れた。
「ふふふっ なんとでも言え。 何と言われても気にならないぞ。」 忠輔はご機嫌だった。
幼いころから『嫡男』は『嫡男』の、『次男』は『次男』の心構えと生活をさせられてきた。
「同じ兄弟なのに何故違うんだ。」 と自分の扱いに不満を抱いたこともあった。
だが、忠輔は左近に優しかった。
どんな無理も「それがしは左近の兄じゃからな。」 そう言って聞いてくれた。
左近も忠輔には逆らわなかった。
その兄が幸せそうな顔をしているのを見るのは、左近にとっても心がほのぼのとして来るものだった。
「若様、左近様 殿がお呼びでございます。」
兄の嫁となる娘と両親の駕籠が到着したのだろう。二人は用人の声に立上り玄関まで迎えに出た。
どう挨拶をしたのか、何を話したのか左近には記憶がなかった。
駕籠から降りた娘は
「またお会いしましたね 左近さま。」 とにこやかに笑顔を見せた。
「・・・初音どの・・・」 左近は後の言葉を飲み込んだ。
広い座敷に石坂家の家族と、細川家の家族が向かい合う。
初音の前には当然忠輔が向いあっていた。
時々目を見つめあい微笑む二人を左近は呆然と眺めていた。
父が
「暴れん坊の左近なぞとあだ名されまして、どのような大人になるかと気を揉みましたが、この頃は人様の役に立つこともあるようで・・・」
と、初音を助けた時の話を石坂から聞かせられ満足げに頷いている。
母はこっそり
「次は左近の番ですよ。 どんなお嫁さまでしょうね。」
娘が出来なかった母は初音が嫁に来ることを楽しみにしているようで、早くも次の左近の相手を思案しているようだった。
一時 酒席の肴になった左近は酔った振りをして自室へ戻った。
畳に仰向けに寝ると、天井の板目の模様が見える。
小さい頃 一人で寝ていたとき行灯の灯りで天井が見えると、あの板目が怖いものに見えて、隣の忠輔の部屋に逃げ込み一緒の布団で寝たことを思い出した。
「左近は怖がりだな。」 閉じた瞼に笑っていたあの頃の兄の顔が浮かんだ。
「おめでとうでござる 兄上。」 涙が一筋 左近の頬を伝った。
「屋敷から戻ってきたのはいいが、何じゃあれは・・・」
左近の火を噴くような稽古に周りが圧倒されていた。
次から次へと変わる相手に、容赦なく打ち込み床に這わせた。
肩で息をしながら、相手に礼をすると面を外して道場の隅に座りまだすっきりしないような顔をして、他の門弟たちが打ち合うのを見ていた。
「そなた 何があったな。」 仲村が茶を勧めながら左近に訊いた。
「・・・未熟者だと悟りましてございます。」 茶碗に手が伸びなかった。
「左近 そなたの剣はそれがしとも、久保田や松尾とも、もちろん忠輔とも違う。
春に吹く風のように伸びやかで、しなやかな剣じゃ。
近頃のそなたには、それがしでも敵わぬのではないかと思うことがある。
左近 何があったかは訊かぬ。
だがな 悲しかったら泣けばよい。
淋しかったら恋しがればよい。
嬉しかったら笑えばよい。 当たり前のことだが、今の左近には当たり前のことが出来ておらぬように思える。
力で捻じ伏せようとする剣はいつか力で負ける。
攻める剣と守る剣の二つを使いこなしてこそ、左近の本領発揮となる春風の剣じゃ。
誰にも遣える剣ではないぞ。」
「・・・悲しかったら泣いて、淋しかったら恋しがる…
先生・・・細川左近 男でござれば、未練を捨てまして、明日より一層稽古に精進いたします。」
深く頭を下げると、茶碗を手にとり一気に飲み干した。
・・・初音どの さらばじゃ。 今度会うときはそれがしの義姉上じゃ・・・
座敷に吹いた風が行く春を感じさせた。
壮年の武士とその娘であった。
その二人と師匠の仲村を前に細川左近はいつになく落ち着かない素振りだった。
客は石坂高継と娘の初音であった。
先日同じ住込み門弟らと神田明神近くの料理茶屋に行ったとき、酔った若侍に絡まれていた初音を助けたのが左近だった。
父娘はその礼に訪ねてきたのだった。
「あのままであったら、どれほどの怖い思いをしたかと肝を冷やす思いでございました。」
と父が言うのに
「本当にどれほどお礼を申し上げても足りないくらいでございます。」
と初音が頭を下げた。
「いえ・・・あれしきのこと何でもござらぬ。 そう言われると却って恥ずかしい気がいたします。」
左近が畏まると、高継が
「不躾でござるが、細川どのは尾上藩江戸家老 細川直久殿のご子息でござろうか。」
「はい。父は細川直久にございます。それがし次男でござれば、気軽な身をよいことに先生に無理を言い住み込ませて頂いております。
石坂様は父をご存知でいらっしゃいますか。」
「おお 先ほどから、面差しがよう似ていると思っていたところでしたが、親子と聞けばなるほどと得心しましたぞ。」
と言ってから
「実は・・・・・ あ いや。 父上との話は放念くだされ。」
片や幕閣の重職、父は譜代といえ大藩ではない藩の江戸家老。
どのような繋がりがあるかは知らないが、表に出てこない様々なことがあるのは左近も承知している。
多分人前では話せぬこともあるのだろう・・・そんな程度に思っていた。
父娘はしばらく話をした後、帰って行った。
「兄上 おめでとうござる。」 と頭を下げると
「うむっ・・・」と口を一文字に結んだかと思ったら
「左近に言われるとなんだか照れるな。」 と忠輔が笑った。
「どちらの娘にござるか。見目麗しいでござるか。」
忠輔と左近は二歳違いの兄弟だ。顔立ちは忠輔が母親似と言われ、左近は父親似と言われていたが、男同士のせいか大きくなるにつれ、どことなく似てきたような感じだ。
異性にあこがれを抱くのも変わらない。
「可愛いぞ。一目惚れってやつだ。」 臆面もなく言う忠輔に
「一目惚れ……真面目一方の兄上からそのような言葉を聞くとは思いませんでした。」 左近が呆れた。
「ふふふっ なんとでも言え。 何と言われても気にならないぞ。」 忠輔はご機嫌だった。
幼いころから『嫡男』は『嫡男』の、『次男』は『次男』の心構えと生活をさせられてきた。
「同じ兄弟なのに何故違うんだ。」 と自分の扱いに不満を抱いたこともあった。
だが、忠輔は左近に優しかった。
どんな無理も「それがしは左近の兄じゃからな。」 そう言って聞いてくれた。
左近も忠輔には逆らわなかった。
その兄が幸せそうな顔をしているのを見るのは、左近にとっても心がほのぼのとして来るものだった。
「若様、左近様 殿がお呼びでございます。」
兄の嫁となる娘と両親の駕籠が到着したのだろう。二人は用人の声に立上り玄関まで迎えに出た。
どう挨拶をしたのか、何を話したのか左近には記憶がなかった。
駕籠から降りた娘は
「またお会いしましたね 左近さま。」 とにこやかに笑顔を見せた。
「・・・初音どの・・・」 左近は後の言葉を飲み込んだ。
広い座敷に石坂家の家族と、細川家の家族が向かい合う。
初音の前には当然忠輔が向いあっていた。
時々目を見つめあい微笑む二人を左近は呆然と眺めていた。
父が
「暴れん坊の左近なぞとあだ名されまして、どのような大人になるかと気を揉みましたが、この頃は人様の役に立つこともあるようで・・・」
と、初音を助けた時の話を石坂から聞かせられ満足げに頷いている。
母はこっそり
「次は左近の番ですよ。 どんなお嫁さまでしょうね。」
娘が出来なかった母は初音が嫁に来ることを楽しみにしているようで、早くも次の左近の相手を思案しているようだった。
一時 酒席の肴になった左近は酔った振りをして自室へ戻った。
畳に仰向けに寝ると、天井の板目の模様が見える。
小さい頃 一人で寝ていたとき行灯の灯りで天井が見えると、あの板目が怖いものに見えて、隣の忠輔の部屋に逃げ込み一緒の布団で寝たことを思い出した。
「左近は怖がりだな。」 閉じた瞼に笑っていたあの頃の兄の顔が浮かんだ。
「おめでとうでござる 兄上。」 涙が一筋 左近の頬を伝った。
「屋敷から戻ってきたのはいいが、何じゃあれは・・・」
左近の火を噴くような稽古に周りが圧倒されていた。
次から次へと変わる相手に、容赦なく打ち込み床に這わせた。
肩で息をしながら、相手に礼をすると面を外して道場の隅に座りまだすっきりしないような顔をして、他の門弟たちが打ち合うのを見ていた。
「そなた 何があったな。」 仲村が茶を勧めながら左近に訊いた。
「・・・未熟者だと悟りましてございます。」 茶碗に手が伸びなかった。
「左近 そなたの剣はそれがしとも、久保田や松尾とも、もちろん忠輔とも違う。
春に吹く風のように伸びやかで、しなやかな剣じゃ。
近頃のそなたには、それがしでも敵わぬのではないかと思うことがある。
左近 何があったかは訊かぬ。
だがな 悲しかったら泣けばよい。
淋しかったら恋しがればよい。
嬉しかったら笑えばよい。 当たり前のことだが、今の左近には当たり前のことが出来ておらぬように思える。
力で捻じ伏せようとする剣はいつか力で負ける。
攻める剣と守る剣の二つを使いこなしてこそ、左近の本領発揮となる春風の剣じゃ。
誰にも遣える剣ではないぞ。」
「・・・悲しかったら泣いて、淋しかったら恋しがる…
先生・・・細川左近 男でござれば、未練を捨てまして、明日より一層稽古に精進いたします。」
深く頭を下げると、茶碗を手にとり一気に飲み干した。
・・・初音どの さらばじゃ。 今度会うときはそれがしの義姉上じゃ・・・
座敷に吹いた風が行く春を感じさせた。
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